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『忘れ得ぬ者へ』
突然の、しかし取り返しのつかない悲劇に襲われたライスシャワー陣営の人々のショックは大きかった。悪夢なら、覚めてくれ。そう思い、あるいは叫んだに違いない。しかし、これは夢ではなく、現実のことだった。
すべてが終わって、ライスシャワー陣営の人々がとぼとぼと引き揚げようとしていると、的場騎手が突然妙なことを言い出した。
「ライスが死んだはずがない。もう一度見てくる」
そして彼は、まわりの人が必死で止めているのになおライスシャワーの方へ戻ろうとした。もう目を閉じて、冷たくなっている相棒のところへ。そんな彼を現実に引き戻したのは、飯塚師の言葉だった。
「均、もうやめとけ」
的場騎手はその言葉でようやく我に返ったのか、諦めて皆と一緒に引き揚げていった。的場騎手ほどの百戦錬磨のベテラン騎手をしても、約3年に渡ってともに戦った戦友の死を受け容れることはできなかった。そんな彼に現実を受け止めさせることができたのは、やはり三位一体でともに戦ってきた飯塚師の言葉だけだった。
そんなやりとりの後、語る言葉すら失って車へと消えていった的場騎手だったが、そんな彼も、ライスシャワーから投げ出されたときに全身を強く打っていた。しかし、彼はレース後も周囲の人々に
「痛い」
とは一言も言わなかったという。
的場騎手は、ライスシャワーが最初に体勢を崩した時、体勢を立て直そうと無我夢中で手綱を引いた。その後的場騎手はバランスを失って前に投げ出されたが、馬の下敷きになることはなかった。それは、ライスシャワーが的場騎手の最後の手綱に応え、懸命に体を起こしたためだった。
もしライスシャワーが的場騎手の手綱に応えず、そのまま前に倒れていたら… 的場騎手はおそらく、投げ出されたときにライスシャワーの下敷きになっていただろうという。もしそうなっていれば、いくらライスシャワーが小柄だといっても、この日の馬体重で438kgである。的場騎手も無事では済まなかったに違いない。
並みの馬の場合、落馬するような事故に遭った時、とっさには反応できないことがある。まして、自分自身がひどい怪我をした直後となればなおのことで、それができるのは、よほど賢く、意思が強く、そして騎手を信頼している馬だけだという。そして、ライスシャワーは反応した。それは、的場騎手にとってはライスシャワーに自分の命を救われたことにほかならなかった。
「俺の何倍も痛い思いをした奴がいる…」
そんな悲しい気持ちが、ついに的場騎手に
「痛い」
という一言を言わせなかった。少し間違えれば再起不能、あるいは自らの死という大惨事となりかねない事故の一歩手前で踏みとどまった的場騎手は、
「ライスに救われた」
という気持ちがあっただけに、戦友の「犠牲のもとに」生き残ってしまった自分自身が誰よりも辛かったのかもしれない。
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